「ご自愛」という言葉を聞くと、
美味しいものを食べることや、旅行に行くこと、
ちょっといいものを買うことを思い浮かべる人も多いかもしれない。
それももちろん、自分のためにしてあげる大切な行為だと思う。
疲れているときに休むことも、心を満たす時間を取ることも、ちゃんとご自愛だ。
でも私は最近、こう思うようになった。
ご自愛って、もっと手前にあるものというか、もっと敷居が低いものではないか。
ご自愛=消費、になっていない?
「頑張ったからご褒美」
「しんどいから美味しいもの」
「気分転換に旅行」
これらはどれも悪くない。むしろ、必要なときもたくさんある。
だけど、
もしそれが自分の気持ちを見ないまま、上書きするための行動になっていたらどうだろう。
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本当は悲しいのに、楽しい予定を入れる
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美味しいものを食べることで、不安な気持ちを忘れようとする
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モヤモヤしているのに、買い物で誤魔化す
そうやって気持ちに蓋をしたまま何かを足しても、
一瞬は紛れても、根っこは残ったままになるものです。

お金のかからないご自愛が、いちばん効く
ご自愛の本質は、「何をするか」よりも「どう自分を扱っているか」にあると思う。
- 今、何を感じている?
- 本当は、どうしたい?
- 無理してない?
こんな問いを自分に向けることは、お金も時間もほとんどかかりません。
でもこれができるようになると、心の消耗の仕方が変わってくる。
自分の感情をなかったことにしない。
無理にポジティブにしない。
「こう感じちゃダメ」と制限しない。
それだけで、心はちゃんと守られ始めるのです。
ご自愛のいちばん低いレイヤー
私が思うご自愛のいちばん低いレイヤーは、自分に対する態度です。
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感情が荒れているときに、ノートに書き出してみる
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しんどい状態ならば、自分に「どうされるのが一番嬉しい?」と声をかける
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自分を雑に扱う選択をしない
これは派手でもなければ、物を買うことに比べて分かりやすくもない。
誰かに見せるものでもない。
でも、このレイヤーが整っていないと、
どんなに素敵なご褒美を重ねても、心は安定しないものです。
ご自愛はイベントじゃなく、日常の中での小さな選択の積み重ねなんだと思います。
土台ができてから、上のフェーズへ
この土台ができてくると、
美味しいものも、旅行も、プレゼントも、意味が変わってきます。
「満たすため」ではなく「味わうため」に使えるようになる。
逃げ場としての贅沢じゃなく、祝福としての時間になる。
ご自愛には、ちゃんと順番がある。
下のレイヤーが整ってから、上を楽しむフェーズが来る。
どちらが偉いとか、正しいとかではなく、順番の話。
自分はここを理解するのに、ずいぶん時間が掛かったなぁと感じています…。
ご自愛ラボ的まとめ|ご自愛は、贅沢よりもずっと手前にある

ご自愛は、贅沢じゃない。静かで、地味で、毎日の中にある。
自分の気持ちに蓋をしないこと。
落ち着いて行動すること。
自分をぜったいに雑に扱わないこと。
それができてから、美味しいものを食べに行けばいい。
旅に出ればいい。(もちろん、どうしてもしたいことは心の声に従って👌)
ご自愛は消費じゃなく、自分との付き合い方。
そしてそれは、一生使える力になると信じています。



