飲食業で働いていた頃、わたしは毎日15時間働き、休みもほとんどなくて、気づけば心も体もすり減っていました。
過労で倒れ、心療内科に通うようになってから、ようやく「あ、わたし限界だったんだ」と気づいたんです。
退職して、次の仕事に進むまでの静かな時間。
そのあいだにわたしを支えてくれたのが 「自己受容」 でした。
「なんで普通に働けないんだろう」「もっと頑張らなきゃ」という思考が頭の中をグルグル回るたびに、
わたしは自分にこう言っていました。
「いいよ。つらくてもいいよ。それでいいよ。」
何度も、何度も、何度も。
そのやさしい言葉を繰り返すたびに、心の奥が少しずつゆるんでいくのを感じました。
今思うと、あの時間はわたしにとって大きな転機でした。
そして気づいたんです。
“自己肯定感”よりも、まず必要なのは“自己受容”なんだ。
と。
過労で倒れ、心が動けなくなった日
数年前、私は憧れのオーセンティックバーで、バーテンダーとして働いていました。
目にも舌にも麗しいカクテルが好きで、副業でバーのアルバイトを始めたら
正社員登用のお話をもらって、挑戦してみよう!と働き始めました。
毎日仕事の後にカクテルを作る練習もして、1日15時間働く日々。
昼夜逆転で、そんな毎日を送っていたら倒れてしまい…そのまま退職。
精神的にもボロボロで、心療内科に通うようになりました。
わたしを救った言葉:「いいよ、つらくてもいいよ」
気がつけば毎日、「なんでこんなにできないんだろう」「みんなみたいに普通に働けない…」と自分を責め続け、
心療内科に行くほど追い込まれていたのに、それでも“頑張らなきゃ”という気持ちが離れませんでした。
そんな時期に、わたしを救ったのが 「いいよ、つらくてもいいよ」 という言葉。
自己肯定感がどうこう…という前に、なによりも必要だったのは“自己受容”。
「できる自分」ではなく、「どんな自分でもOK」を認めることでした。
毎日、心の中で何度も何度も唱えていました。寝る前にも朝起きたときにも、歩きながらも。
すると、少しずつ、ほんとうに少しずつ心がほどけていくような感覚が芽生えてきました。
本当に、あのときのわたしを助けたのは“自分の声”だった。
自己受容は“ご自愛”の第一歩
自己受容とは、「つらい自分も、弱い自分も、そのままでいい」と、自分に許可を出すこと。
誰かに理解してもらえなかったとしても、自分だけは味方でいる。
そう思えた瞬間に、心は少しだけ軽くなる。
完璧じゃなくていい。
ポジティブにならなくてもいい。
立ち直らなくてもいい。
ご自愛とは、自分を甘やかすことではなく、
“今の自分に必要なケアを、自分で気づいてあげること” だから。
自己受容ができると、「できた/できない」という軸に縛られなくなり、
結果として、自己肯定感もゆっくり育っていきます。
今つらいあなたへ伝えたいこと
もし今、息が苦しいくらいの辛さの中にいるなら、それはもう 心がSOSを出しているサイン です。
涙が止まらなくなる日があっても、
布団から起きられない日があっても、
それは「弱い」んじゃなくて、「がんばりすぎている」のです。
そして、心療内科に行くことは “逃げ”でも“負け”でもなく、れっきとしたご自愛。
自分の心が壊れる前に専門家に助けを求めるのは、立派な選択です。
おわりに
つらいとき、わたしたちはつい「もっと頑張らなきゃ」と思ってしまいます。
でも本当に必要なのはその逆で、「頑張れなくてもいいよ」と自分に許可を出すこと。
泣いても、動けなくても、何もできなくても──
そのままのあなたで、大丈夫。
どうか、今日のあなたが少しでも楽になりますように。
そして、“あなた自身をやさしく抱きしめる力”が、静かに育っていきますように。


