過去に、つらい出来事があった。
それは紛れもない事実で、なかったことにはできない。
だからときどき思ってしまう。
「ああ、やっぱり人生はうまくいかないものなんだ」
「やっぱり簡単に幸せにはなれないんだ」
幸せを感じる瞬間が訪れるたび、
どこかでブレーキを踏んでしまう自分がいる…
そんなふうに思ってしまうことはありませんか?
つらかったことと、幸せであることは別の話
でも最近、少しずつ思えるようになってきました。
つらい出来事があったことと、
わたしが幸せであることは、まったく別の話なんだと。
悲しかったことは、悲しかったままでいい。
無理に意味をつけなくてもいいし、別にすぐに「学び」に変換できなくてもいい。
よく「そこから何を学んだかが大事」と言われるけれど、
正直、そんな余裕がないときだってある。
学べない自分を責めなくていい。
前向きになれない時間があってもいい。
人生のすべての出来事に、今すぐ意味を見出さなくてもいいと思うのです。

変えられるのは、自分自身だけ
変えられるのは、自分自身だけです。
過去に起きたことも、誰かの言動も、もうどうにもできない。
でも、その出来事をどう抱えて生きるかは、自分で選べる。
どんな言葉を自分にかけるか。
どんな距離感で思い出と付き合うか。
どんな一日を「今日」にするか。
責め続けることもできるし、
「もう十分がんばったよね」と声をかけてあげることもできる。
もし選べるなら、少しでも心がゆるむほうを選んでいいと思いませんか?
幸せは、過去を消すことじゃない
幸せになることは、過去をなかったことにする行為じゃない。
傷ついた自分を置き去りにすることでもない。
ただ、「今ここにいる自分」を大切に扱うこと。
疲れていたら休んでいいし、
あたたかいお茶を飲んでいいし、
理由なんてなくても、心地よさを選んでいい。
それは、逃げではありません。
ちゃんと生きようとしている証拠だと思います。
おわりに|それでも、今日を生きていく

つらい出来事があった「わたし」と、
今ここで心地よさを選ぼうとしている「わたし」は、
同時に存在していい。
どちらかを消さなくていいし、
どちらかが間違っているわけでもない。
ただ、少しずつでいいから、
これからの時間をどう生きたいかを選んでいけばいい。
過去は変えられないけれど、
今日の自分への態度は、いつだって変えられる。
責めるよりも、いたわる。
急がせるよりも、待ってあげる。
正しくあろうとするより、心地よくあろうとする。
その選択を重ねていくうちに、
気づいたら少し呼吸が楽になっていたり、
前よりやさしい景色が見える日が増えていく。
幸せって、劇的に訪れるものじゃなくて、
こうして静かに、日常の中に増えていくものなのかもしれない、と思っています。
だから今日も、ほんの少しでも心がほっとするほうを選んでみる、
ということを意識してみませんか?
その積み重ねが、ちゃんとあなたを、あたたかい場所へ連れていってくれると信じています。



